2014/08/06
釧路、市街北側散策
今日は市街の北側をぶらついてみることにした。
まずは生涯学習センター前の、高台になってる小さな公園へ。
その先にある坂を下りてロータリーへ。真ん中に見えてるのは花時計。
ここの横断歩道、信号がなくて、しかも交通量多くて、「ありゃ、これ渡るのけっこう大変なんじゃないか」と思ったけど、横断歩道の前で待ってたら、すぐに車が止まってくれた。いや道交法的には正しい(横断歩道を渡ろうとする人がいたら車は停止しないといけない)んだろうけど、大阪の交通マナーに慣れた目には、ものすごい新鮮に映るwww
ちなみにこのあとも何度もこのロータリーで横断歩道渡ったけど、毎回すぐ車が止まってくれた。これがあたりまえなのかー。すげーな。
そしてそのロータリーを過ぎて幣舞橋(ぬさまいばし)へ。
前回と反対側の歩道には、やっぱり「春」と「夏」のブロンズ像があった。こっちが「春」。
こっちが「夏」。
「ここから毎日、釧路の街を見守っとる――それがワシの仕事や」
橋の上から。
さっき見えてた大きな建物、釧路フィッシャーマンズワーフMOOへ。道の駅みたいなやつ?
幣舞橋側には全面ガラス張りの植物園、EGG。
MOOの中は海鮮市場とか土産物屋とか。
2階には釧路の歴史とか、いろんな展示物があった。
道内各所の観光案内パンフレットがあったので、それを見ながら北海道の地理を頭に入れる。やっぱり次は根室でいいや。とりあえず最東端まで行こう。あとのことはあとで考えよう。
なんかこれ好き。
ハロワとかもある。
なんぞこれwww
2階に「港の屋台」という、飲み屋が数件集まった区画があって、ランチタイムで何件か営業してたので、「ザンギの横綱」って店で昼食。ザンギ定食、700円。
肉がめっちゃやわらかい。何も付けずに食うと酒のつまみによさそうな感じ。でもタレを付けて食うと、ご飯がご飯がススムくんwww
MOOの2階から。ちなみに3階以上はだいぶさびれてた。
川沿いの遊歩道に下りてみる。やっぱ船が多いなー。
そして幣舞橋から釧路駅への大通りに戻る。この看板、あの震災以後に付けられたのかな? 港町だと津波の危険は常にあるんだよなあ。
空き店舗になってるところがけっこう多い。
街頭ラジオを聞きながら北大通をゆっくり歩き、再び釧路駅へ。
釧路駅を出てすぐに見える光景がこれというのはどうなんだろう。CHINKO。
駅の近くの和商市場へ。
わー。やっぱり市場っていいわー。なんかあれやわ。大阪の天満で暮らしてたときよく買い物に行ってた、ぷらら天満の天満市場を思い出すわ。ものすごいローカルネタだからたぶん誰もわからないwwww
和商市場では「勝手丼」という独特の文化がある。丼に入ったご飯を買って、それに少しずつ海鮮の具を乗せていって(会計はそれぞれの店)、自分だけの海鮮丼を作れるのだそうだ。たしかに丼を持った人がいろんな店をまわりながらウロウロしてて、独特の光景を作り出してる。僕はさっき昼飯食っちゃったしなあ、まあいいか。
と思ってたんだけど、人懐っこいおばちゃんのしゃべりに乗せられ、やってみることに。まあこういうのはノリだよねwww
「ご飯はどこで買うの?」って聞いたら連れていってくれた。
丼持って歩いてると、いろんな店の人が声をかけてくる。けっこう活気あるなあ。なんかいろいろまわってたら謎の海鮮丼になったけどwww
花咲ガニ、ホッキ貝の耳、イクラとかいろいろ。たぶん全部で700円くらいだったかな?
かなり腹いっぱいになったので、腹ごなしにさっきの幣舞橋まで歩く。そして橋のたもとのベンチでボケーッとしながら、道行く人や、釧路川を行き交う船を眺める。
さっきもMOOから見えたけど、いかだを引っ張っていく船がいた。
そして北大通の東側を歩く。この辺は飲み屋街みたい。末広町、栄町……なんかこの地名って多くない? 日本全国どこでもあるような気がする。いや「栄町」はわかるけど、「末広町」はなんで多いんだろう。こういうの研究してる人いないのかな。
栄町平和公園。
「ここにあった悲しみを、苦しみの日を、永久に語りつがねばならぬ」
最近、こういう言葉の重みが少しずつわかるようになってきた。
そして釧路駅の北側へ。
ダイソー、ツルハドラッグ、ザ・ビッグ。ザ・ビッグってなんぞ……と思って入ってみたら、イオングループのディスカウントストアだった。へー、初めて見た。
そしてまた北へ向かってフラフラ歩く。
ほのぼのする看板。
この辺は住宅街かな。こういうところでも普通に二車線で信号がある。なんか全体的にアメリカっぽい印象を受けるんだけど、なんでだろう。
地図を見ると横にめちゃくちゃ長い公園があるので来てみた。柳町公園というらしい。東西約2.4キロ。すげーな。
そしてまた駅のほうへ引き返す。
途中、神社にお参りしたり。
古書店に寄ってみたり。
そしてまた駅を越して、北大通を歩いてたら、こっちにもさっき見た古書店の支店があることに気づいたので寄ってみる。ちょっと気になる本とか立ち読みしてたら、いつのまにか30分くらいたってた。
店を出て通りに出たとき、「あれ?」と思った。そうか、自分はいま釧路にいるのか、と思い出した。そしていまは西暦2014年だ。古い本を読んでいると、自分が、いつの、どこにいるのか、見失ってしまうときがある。それはたぶん、時間も空間も、ときには言語の壁すらも超えて、その本の書き手と語り合っているからだと思う。
さっきの古書店で買った本。あまり中身読まずにタイトル買い。ワゴンで50円だった。
旧字体の本だけど、新字体とそんなに違うわけではないので、わりと読める。読めなくても文脈で類推できる。どうしても読めなかったら読み飛ばそう。そんな感じ。
しかし少し前までは、本を書く、本を出版するって、それだけでものすごいことで、知識階級の人間でなければ絶対に無理だったのに、いまは誰でも本が出せる……それこそ僕みたいなろくに高等教育も受けてない、何のツテもない人間にでも出せる。電子書籍だけどねw
それだけじゃなくて、世界に情報を発信するのだって、ポケットからスマホを取り出して10秒でできる。それも特別な訓練も必要なく、誰にでも。
それってすごいことだよなあと、すごい時代になってるよなあと、こういう本を読んでるとあらためて思うわ。