2014/08/25
美瑛、反抗の精神の矛先
ひとりはモヒカン、ひとりは染髪中、そんなふたりが立体四目並べをする。
蜂の宿は今日も平和です。
沈没していた日本一周中のチャリダー数人が出発するようだ。
チャリを持ち上げるテラノくんはまだ絶賛沈没中。
このモヒカンの彼は16歳のチャリダー。「日本一周する」と冗談交じりにいっていたら、いつのまにかそれが噂になり、地元の新聞にまで取り上げられたりして、引くに引けなくなったらしい。
「そんなの絶対無理だってみんなにいわれて」
「見てろよって思って」
その反発心だけで実際にここまで来る――いいなあパンクだなあと思う。僕も10代20代のころはそういう反発心こそが自分の原動力だった気がする。そして30を過ぎたいまもそれは変わっていない。その反抗の精神の矛先が、より現実的な方向へと変わっただけだ。
反抗の文化がそれ自身の論理でみずからを正当化できるかどうか、そこが問われているのである。個々の具体的な行動にあらわれるかぎりでの「合理性」をもって、反抗の文化は、ときにイデオロギーを透視し、転倒させ、そうしないまでもその価値を限定することができよう。だが、支配イデオロギーはいぜんとして詰問を発する側に居坐りつづける。そして、守勢ぎみの弁解を余儀なくされるその対話の形式それ自体が、反抗の文化を政治的に去勢してしまうのである。(中略)自分のことを正当化する理由がどうしてもいるんだ。この世かあの世かわかんないけどさ、いつか引っぱりだされて、理由を答えろって責められるような気がするんだ。自分のしたことにちゃんとした申し開きをしてみろ、いつなんどきそう言われるかもしれないじゃないか。(中略)きわめて排他的に「われら」に固執する集団や個人でさえも、いくぶんかの「やつら」を内に同居させている。こうして、「われら」はしかるべくみずからを欺くことになる。イデオロギーは「われら」の内なる「やつら」である。それは招き入れられたのだ。「われら」の文化が――インフォーマルな領域に立てこもり、そこでこそしたたかではあっても、それゆえに政治的な実践への展望を欠く「われら」の文化そのものが、イデオロギーを招き入れたのである。反抗の文化としてのしたたかさそのものが、イデオロギーとの同居を許しているのだ。
ポール・ウィリス「ハマータウンの野郎ども」pp.392-396
とはいえ、少なくとも次のようには言えるはずだ。多くの制度はその公式イデオロギーの首尾一貫性にたいする信仰を必要とするゆえに、ひとしく、なんらかのかたちで自己欺瞞を犯す、と。公式のイデオロギーがなんらの抵抗も受けずに制度の最末端までとどくことはない。公式のイデオロギーが浸透するとすれば、それは制度の底辺においてどのようにか受容される素地があるときに限られる。さもなければどこにも浸透してはいない。ある制度のなかで上から下へとつながるイデオロギーの鎖には、そのどこかに切れ目やもつれがあるものだ。そして、鎖のその部分こそ、制度と外部の社会秩序との関係を知るうえで、また社会の再生産に果たす制度の客観的な機能を見きわめるうえで、ことのほか重要な意味をもつ。さらにはこうも言いうるかもしれない。多くの制度において人びとを一定の具体的な行動へと動機づけるものは、インフォーマルな文化がもたらす「われら見ぬいたり」という独特の意識なのだ、と。もちろん、その洞察が実は限界づきのものであるために、インフォーマルなものの勝利は束の間の雄叫びに終わるのが常である。ともあれ、重要なのは、社会の再生産の秘密が、皮肉にもこの束の間に、さしあたりはきっちりと封印されて保存されるということである。
p.420
とりあえずは構造の規定力を十分に承知し、それと文化的な形成物との相互依存性を忘れないことが必要であろう。だがそのうえで、右の問に答えようとする努力から出てくるものは、また総じてこの本の結論として出てくる要請は、理論と実践との一体的な性格についての再認識である。文化的なものの位相を確認し理解するということは、それを明晰な自意識の領域に、したがって政治的実践の領域により接近させる。つまりそれ自体ひとつの行為なのである。文化的なものが物質的なものの再生産の過程に組みこまれて存在するなら、文化的なものを目的意識的に物質的な力へと鍛えあげる可能性もあるはずなのだ。文化的なものをそのように政治的な力にすることこそ、長期的な構造変革の前提条件である。およそ教育という営みのなかでなにほどか有効な働きかけを考えようとするなら、私たちはそれこそ文化の領域にわけ入らねばならず、とりわけイデオロギー的なものの作用を念頭におきながらそうしなければならない。ふつうの民衆のありように起源をもつ要素に注目しながら文化的なものが再生産される過程を理解するに至るならば、対抗文化の内なる弱点はすでに乗り越えられたも同然であり、インフォーマルなものにたいするフォーマルなものの支配力を揺るがせつつ、民衆は自己改革をとげはじめたと言うことができる。これはまだ希望の千年王国の到来ではないけれども、確かにもうひとつの月曜日の朝にはなりうるであろう。月曜日の朝がくりかえしくりかえしめぐりくる同じ月曜日の朝でありつづける必然性はまったくないのである。
p.446
沈没してたからわかんなかったけど、ホントにみんな旅人だったんだなあと思う瞬間。
そしてやはりその旅立ちを撮影するマサくん。
そのあとは大部屋のほうに遊びにいったり。
電車で漫画を読んだりしてダラダラ過ごす。やはりヒラコーの描く漫画はおもしろい。
アwwwマwwwゾwwwンwww
前に連泊していた人宛に届いた荷物らしいwww
ちなみに僕が沈没してた間にも宿泊客宛の宅配便や郵便物がけっこう届いてたwww
昼からアベくんテラノくんのふたりと共にカレーを作ることになった。まずは小型扇風機で火を起こす。
玉ねぎを飴色になるまで炒める。
水を入れて、じゃがいも、人参を投入して煮立てる。
ルーを入れて、最後に冷凍のシーフードミックスを投入して、また煮込む。
しかしここホント居心地いいわ。
沈没者が多いのもわかる。
カレー完成!
お玉がなかったw
何の変哲もないシーフードカレーだけど、めちゃくちゃうまい。やっぱこういう空気の中で自分たちで作って食うってのがいいのかな。
キャッチボールが始まった。奥にいるのはマスター。
なんか青春や。
夜は居酒屋でゲームに興じるアベくんとテラノくん。僕はその隣でまたいろんな人と話をする。
日本全国どこでもヒッチハイクで行ってるという人。ロックフェスへ行くのもヒッチハイクらしい。なんか発想というか考え方が根本的に違うわ……。
来月から有名なスタジオで働く予定だといっていたカメラマン。彼とマサくんの会話を横で聞いていても、やはりそこには知らない世界が広がっている。
居酒屋の注文も落ち着いたころ、マスターに将棋の再戦を挑まれた。接戦の末、今回は負けた。でも棋力が近い人と指すのはやはりおもしろい。
そのあとテラノくんも挑戦してきた。どうも初心者っぽいので「飛車角落とそうか?」といったけど、手加減は無用らしい。ん、そうか、と思って大人げなく全力で指してボコボコにした。すぐに再戦を挑まれたのでまた大人げなく全力で指してボコボコにした。
将棋はあるていど実力が離れてたら絶対に勝たれへんのやで……。将棋にビギナーズラックはないんやで……。