2014/08/20
稚内、宗谷岬とビズ
稚内観光の続き。定期観光バスに乗って「日本最北端と記念塔パノラマコース」へ。
まずは北防波堤ドームに寄ったあと、稚内公園にある開基百年記念塔へ。
塔の展望台から。丘の上にあるのでかなり見晴らしがいい。さっき街なかから見上げた風車を見下ろせる。バスガイドさんの話では、これ1基で200世帯分の電力をまかなえるのだとか。
南稚内駅があるほうも見渡せる。
塔の1階は北方記念館。歴史資料がたくさん展示されてる。これは江戸時代に宗谷で越冬した武士たちが使っていたベッドらしい。棺桶みたい。
交易の様子互いの国の貨幣が通じないときはやはり物々交換。そしてこういう場合は相場なんてものはなく、互いがその商品にどれくらいの価値を感じるかで決まる。足元を見られたほうが負けなのは現代と同じ。商売人同士のこういうやりとりはいつの時代も変わらんのだよなあw
脇にかかえた獣皮を酒・煙草・布地・鉄器などと交換する。交易が終わっても、毛皮の残りがあると少しでも高く売ろうとしてなかなか交換に応じない。満州人は何とか毛皮を手に入れようと、さまざまな物を出すが、それでも交換に応じないときには自分の着ている衣服まで脱いで交換しようとする。(『東韃地方紀行』中巻)
昔の貨幣。
戦時中の国債。
樺太が日本領だったころの観光案内パンフレット。「樺太おみやげ案内」とかすごい読んでみたい。
氷雪の門。樺太で亡くなった人のための慰霊碑。
九人の乙女の碑。
観光案内パンフレットで見たときにちょっとひっかかるものがあって、昨日この事件に関する本を図書館で何冊か読んでみたけど、事実はもっと淡々としたものじゃないかという印象を受けた。本来は助かるはずだったのに、引率する立場の人間がいなかったことで引き起こされた事件というか。終戦直後の昭和20年(1945年)8月20日、ソ連軍の侵攻の中にあった樺太。その緊迫した状況の中、最後まで交換業務の任務を果たし、自らの命を絶った樺太真岡郵便局の9人の若き女性交換手たちを慰霊しています。屏風状の碑には亡くなった9人の名前、交換手姿の乙女の像を刻んだレリーフ、そして彼女たちの最後の言葉「皆さん、これが最後です。さようなら、さようなら・・・」の文が刻まれています。稚内観光協会
戦時中の「あたりまえ」であった軍国主義的なイデオロギーを差し引いて考えても、行為自体は尊いものだと思うけど、何の関係もない他人がそこにドラマを見出して美談に仕立てあげることについては、どこかうさんくささを感じずにはいられない。
だから僕がここに来たのが8月20日であることについても、特に意味は感じない。
昔、四十七士の助命を排して処刑を断行した理由の一つは、彼等が生きながらえて生き恥をさらし折角の名を汚す者が現れてはいけないという老婆心であったそうな。現代の法律にこんな人情は存在しない。けれども人の心情には多分にこの傾向が残っており、美しいものを美しいままで終らせたいということは一般的な心情の一つのようだ。十数年前だかに童貞処女のまま愛の一生を終らせようと大磯のどこかで心中した学生と娘があったが世人の同情は大きかったし、私自身も、数年前に私と極めて親しかった姪の一人が二十一の年に自殺したとき、美しいうちに死んでくれて良かったような気がした。一見清楚な娘であったが、壊れそうな危なさがあり真逆様に地獄へ堕ちる不安を感じさせるところがあって、その一生を正視するに堪えないような気がしていたからであった。坂口安吾「堕落論」
そしてバスは公園を出て宗谷岬へ。道すがらバスガイドさんがいろいろ街の説明をしてくれた。これは自然冷熱利用貯蔵庫。いかにも北海道らしい。
他にも、市役所、文化センター、市立病院、小学校、中学校、食品加工工場……産業や生活について。セイコーマートにはオリジナル商品が多いとか、西條にはサーティーワンが入ってるとか、ケンタッキーも入ってたけど撤退したとか、だからCMでケンタッキーを見て「ああ食べたいなー」と思っても名寄まで行かなきゃいけない、稚内市民は悲しんでいます……とか。
地域内の本当に小さな話までしてくれるのでめちゃくちゃおもしろい。観光バスで来て正解だったなあ。
前から気になってたけど、道路脇にある赤と黄の矢印は、雪が積もったときに路肩を認識するためのものらしい。
オホーツク海。なんかすごい風景だ。
ぜんぜん波立ってないのはなんでだろ。こんな静かな海の風景、初めて見たわ。
宗谷丘陵。氷河期のなごりでこうなったらしい。
しゅごいー。
黒牛が放牧されてる。
開放的すぎる牧場だ。
そして宗谷岬に到着。丘の上の駐車場から階段を下りようとしたら……。
野生の鹿の群れがいたwww
ちょwwwww
日本最北端の地。
4人組のヒッチハイカーがいた。北海道一周だったり、日本一周だったり、みんなバラバラで、途中で合流したらしい。
樺太が島であることを発見した間宮林蔵。
宗谷岬ウィンドファーム。
メガソーラー発電所。稚内は環境都市らしく、自然エネルギーを利用する発電所が多い。
稚内のゆるキャラ。出汁之介。
正体は稚内の冬の名物観光地「抜海(ばっかい)港」に現れる野生のゴマフアザラシであるが、名産の利尻昆布を興味本位で食べてみたら、あまりのおいしさに食べすぎてしまい、下半身が昆布になってしまったらしい。宗谷総合振興局
後ろ姿に吹くwww
ウニとかタコとか、なんでもいいから全部つっこんどけ感がすごいwww
バスガイドさんの「北海道には塀のない家が多い」という言葉で、初めてそのことに気づいた。そうか、釧路の住宅街を歩いてたとき、「なんかアメリカっぽい」と思ったのは、そのせいか。
ノシャップ岬へ向かう道は、無事カエルロード。カエルとかのオブジェが沿道に並んでる。
そしてこのへんのバス停は、「吉田宅前」とか「田村宅前」とか、個人宅前になってる。すごい。
ノシャップ岬。
18時半に稚内駅に戻ってツアー終了。駅にあった地図にはポストイットがたくさん貼ってあって、いろんな人が街の情報を書いてる。
ポストイットに「チャーメンおいしかった!」と書いてあったのが気になって来てみた。食堂よしおか。
チャーメンって、あんかけラーメンのことだったらしい。
注文したときに女将さんに「どこかで聞いてきたの?」といわれたので、「駅で付箋貼ってあるの見て……」と説明してたら、隣の席の女性が「あ、それ私も見た」といっていた。
それからしばらくその女性と雑談してたら、なぜかビールとか刺身とかおごってくれて、帰り際に「函館に着いたら連絡してね」と電話番号を渡された。函館の人らしい。
というか、これなに? フラグ?
それはそれとして、チビチビ飲んでたら19時24分の終電(!)を逃してしまったので、稚内駅前のバス停から市バスに乗る。
「Yes, I'm gonna get off at Minami-Wakkanai. I'll tell you when the bus stops.(そうです、僕も南稚内で降りるんで、着いたら教えますよ)」
それで、もしかしたらそうじゃないかなとは思ってたけど、バス停を降りたあと、彼らにみどり湯への道を聞かれたw
「I'm staying at Midoriyu! Follow me!(僕みどり湯に泊まってるしwついてくるしw)」
道すがら話を聞いていると、彼らはスペイン在住のキューバ人らしい。今日は礼文島に行ってきて、その帰りなのだとか。
宿に帰ると今日はたくさん宿泊客がいた。バイクの日のイベントが終わったからかな。
そして今日もまた集合写真を撮る。今回は人が多くてカメラ頼むのもあれだったので、写真はみどり湯のブログから拝借。
そしてミラーボールがまわり、自己紹介タイム。今日もいろんな人がいた。娘3人を連れて車で旅している女性、超金髪なのに腰が低くて教師志望の青年、スペイン人のカップルがもう1組。28人もいるので自己紹介だけで30分以上かかったw
そしてまた松山千春の「大空と大地の中で」を歌う。もう3回目だから完全に覚えたわw
京都出身の人と京都トークで盛り上がったりしてたけど、キューバ人カップルにさっきのお礼をいわれ、外国人4人と雑談する流れに。でも1人で相手するのはきつかったので、外資系企業に勤めているといっていた女性をお手洗いから帰ってきたところでつかまえるwおお、やっぱり英語ペラペラや!
こういう旅してる人って実はけっこうエリートが多い。「博○堂に就職決まってます」とか「銀行員やってます」みたいな。僕みたいな中卒とかマジいないwww死ぬwwwww
それから外国人たちといろんな話をした。
「ユーロ圏になってからスペインは失業率が高くて、人がどんどん他国に出ていってる」
「私の友達も2人イギリスに移住した」
「昔は他国からたくさん人が働きに来てたのに、いまは逆」
「これからどうなっちゃうんだろう」
といった世知辛い話や、富士山に登った話、日本の都会は人大杉ワロタという話、でも北海道はゆったりしていて自然もすばらしいという話。
みどり湯は0時消灯と決まっているので、そろそろお開きという時間になったとき、スペイン人男性にハグを求められた。おおこういうときはハグか。女性のほうにもハグを求められたけど、なんかタイミングが合わない。え、なんぞ、と思ったら隣で僕が会話に引きずり込んだ女性とスペイン人男性がビズ(頬を合わせるやつ)をしていた。
えwwwマジかwwwそれやらなあかんのかwww
でもやらないほうが失礼かと思い、人生初のビズをするのだった。
なんか今日は濃い一日だった……。