2014/08/12
網走、監獄と北海道開拓の歴史
今日は一日かけて網走を観光するのだぜ。
まずは宿の前の国道で市バスに乗る。
天都山入り口で下車。今日は台風一過のいい天気だなあ。
ピザが食いたくなってくる雲。
網走監獄まで1キロほど歩く。
こういう標識、福島でもよく見かけた。これってわりとリアルに危ないんだなあというのは、この前の電車と鹿の接触事故で学んだ。
きたあああああああああああああああ!!!!
鏡橋。
網走刑務所の外塀に沿って流れる網走川に架かる橋を、収容される時、出所の時、必ず渡らなければなりません。「川面に我が身を映し、襟を正し、心の垢をぬぐいおとす目的で岸に渡るようにと」誰言うとはなしに鏡橋と呼ばれるようになりました。網走刑務所鏡橋は現在迄に4回に亘り架け替が行われておりますが、この鏡橋は2代目の擬宝珠と3代目の三角形トラス橋の面影を残し、再現致しました。案内板より
正門。
散策マップ。かなり広いので、こうしてルートを作ってくれてるのはありがたい。
アイヌの郷土玩具、ニポポ。これの小さいバージョンを、網走刑務所の受刑者が作ってる。
まずは釧路地方裁判所(の復原棟)へ。
カーテンとかの備品類も実際の裁判所で使ってたものらしい。かなり雰囲気ある。
こういうところに来ると、法とは何か、犯罪とは何か、ということを改めて考えさせられる。
そしてなぜか唐突に、「学問のすすめ」で福沢諭吉が赤穂浪士をディスってたのを思い出した。赤穂浪士は討ち入りなんてせずに、法の下で不当を訴えなければならなかった、みたいな話。
これ十代のころに読んだときはめちゃくちゃ反感を覚えたけど、いまはそうでもない。
討ち入りのほうがドラマ――実際、「忠臣蔵」というタイトルで何度も何度もドラマ化されてる――があるし、忠義だとか武士道だとか、そういう言葉は響きがいいけど、実際問題、「忠臣蔵」はただの私刑の話でしかないのだ。
何かを不当だと思うなら法の下に引きずり出すべきだし、その法自体が不当だと思うなら、それを広く世間に訴えるべきなのである。現代ではその場は議会という名で用意されているし、別に自分がそこに立たなくたって、代議士を介することで参加できる。そこにはドラマも感動もないかもしれないけど、本当の意味で「不当」を「正当」に変えるには、そうやって淡々と、粛々と、根気よく地道にやっていくしかないのだ。
この赤穂浪士の部分に限らず、「学問のすすめ」を最初に読んだときの印象は、「最悪」の二文字でしかなかったけど、歳を重ねるにつれて、福沢諭吉が何を伝えたかったのか、というのが少しずつわかるようになってきた。
明治時代にここで実際に使われていた本らしい。うわー、読んでみたい。
休泊所。
網走監獄の歴史は、北海道開拓の歴史と深く関わってるんだよなあ。受刑者が塀の外に出て、日帰りできない作業をする場合は「休泊所」と呼ばれた仮小屋で寝泊りをしました。明治24年の網走から札幌へと続く中央道路開削工事では、述べ1200人の受刑者が投入され、工事も進行にともない、休泊所を解体しては移動していきました。別名「動く監獄」と呼ばれ、後の厳しい監視と強制労働で知られる一般労務者の飯場(たこ部屋)のつくりは、これを模したといわれています。案内板より
休泊所の中の様子。
いきなり人形が動いてめちゃくちゃびびったwww
なんかこういうの読むと、福島で泊まってた旅館が天国すぎてやばい。
耕うん庫の中には農機具がたくさんあった。
鍛冶作業風景。さっきの農機具とかも自前で作ってたらしい。
つけもの庫。桶はめちゃくちゃでかい。
そして監獄歴史館へ。これはいまの網走刑務所の再現。
共同室。あれ、けっこういける……とか思ってしまった。
単独室。西成のドヤより広い……。
ホームレスの施設で暮らしてたとき、刑務所上がりの人が何人かいて、「刑務所のほうがなんぼかマシや……」とその施設を評してたけど、その言葉の意味がやっとわかったwww
そしてまた時代はさかのぼる。刑務所の外を歩かされるときは、この編み笠をかぶらされたそうな。
このへんは体験コーナー。編み笠をかぶってみよう、とか、鉄丸をつけて歩いてみよう、とか。僕もちょっとつけてみた。お、重い……。これつけて中央道路の開削作業をしてたそうな。
もっこを担いでみよう、のコーナー。これもめちゃくちゃ重い。不整地運搬車のありがたみがわかる。
当時の作業風景。こういうの見ると、さっきの体験コーナーがリアルに思えてくる。
三面スクリーンに映しだされる中央道路開削のドラマ。
実際に使われてた道具とかの展示もあった。これも実際の帳簿。あ、旧字体だ。
次は農場。
二見ケ岡農場の移築復原。
作業場。
舎房。
広いけど、冬はめちゃくちゃ寒そうだなあ。
作業風景、その1。
作業風景、その2。なんか楽しそう。
ああ、こういうのめっちゃ好きw
これ作った人も、あとの時代になってこんなふうに発見されて、展示されて、観光客の視線を集めるとは、夢にも思ってなかっただろうなw
食堂。
実際の観光客用の食堂でもあるので、ここで監獄食が食べられる。
かなり歩いて腹が減ったので、僕もここで監獄食Aセットを注文。テーブルに座って、午後からの予定を考える。どうすっかなあ、オホーツク流氷館は行きたいし、北方民族博物館もちょっと見てみたい。そのあとバスで網走の市街に行って……。とか考えながら監獄食を待ってたんだけど、気づいたらいつのまにか注文から30分たってる。あれ? これさすがに遅くね? と思って厨房のおばちゃんに聞いてみると、やっぱり忘れてたみたいwww
「今日はひとりでやってるからてんてこまいなのよ。もう少ししたらあとひとり来るんだけどね」
さっきから団体の予約席と厨房を行ったり来たりで忙しそうだったしなあ。
監獄食はすぐ用意してくれた。なんか小学校の給食みたい。
食ってたら、さっきのおばちゃんが「ごめんなさいね、コレおわびに」と、アイスコーヒーをくれた。
それからまたしばらくして、「これ、できたてでアツアツだから」と、小鉢をもう一皿くれた。
そこまでしてもらわんでも……とは思ったけど、せっかくなので全部ありがたくいただいた。
結局、この食堂で1時間くらいいたんだけど、これがスケジュールきっちり決めてるような旅なら、「うわー、時間がー!」ってなってたと思う。
こういうのも全部楽しみたいから、僕は2泊3日とかじゃなく、1ヶ月とかでもなく、まったく期限のない旅をしてるのかもしれない。
部屋を引き払って、荷物をトランクルームに預けて、バックパックひとつかついで、住み慣れた街を出る……そんな旅。
そして次は五翼放射状平屋舎房へ。
ここはこの中央見張りを中心にして、手足が伸びるように放射状の舎房になってる。
中央からすべての舎房が見渡せる。
舎房は天井から採光してる。これは雑居房。
斜め格子なので、廊下側から部屋の中は見えるけど、部屋の中から向かいの部屋は見えない。
雑居房の中の様子。
こっちは独居房。
こっちの格子は「くの字」になってて、廊下側からも部屋の中からも、互いに向こう側は見えない。
独居房の中の様子。
独立型の懲罰房。窓がないので扉を閉めると真の闇。規律違反をした人が入れられたそうな。
これはかなりきついなあ。どうやったら耐えられるかと想像してみたけど、「坐禅を組む」くらいしか思いつかない。
教誨堂。
本の貸し出しもあったらしい。
持ち込みできる冊数、ここで借りられる冊数とかは制限があるけど、更生をうながすような宗教関連の本はカウントされなかったそうな。
出口付近でなんかいい匂いするなと思ったら、ユリが咲いてた。
これでだいたい網走監獄をぐるりと一周したかな。ここに着いたのが8時半で、いまは13時。4時間半もいたのか。興味深い展示が多すぎたからしかたないや。
いろいろ考えさせられたけど、どうすればそれを言語化できるのかはわからない。なんかもうホントにいろんなものが足りないわ。知識も経験も何もかもが足りない。それだけはわかる。
どないしたもんか。
マジで。
続く。