2014/09/20

札幌、マンスリーマンションに入居する

そして日付は飛んで、札幌入りして10日目の今日、マンスリーマンションに入居することになった。





マンスリーのようでマンスリーじゃない、少しマンスリーなマンション。家賃は月3万、電気水道代込み(5000円分を超えたら別途請求)、ガスは個人契約(都市ガスなのでそんなに高くない)、入退去時の清掃費不要、保証人・保証会社不要、入居審査なし、地下鉄まで徒歩3分、大通公園やすすきのも徒歩圏内。部屋にはベッドしかないけど、1階の共有部に冷蔵庫や炊飯器具があるので問題ない。





トランクルームに預けていた荷物は今日ここで受け取れるように事前に出庫処理しておいた。このダンボール1個と、旅の間に使っていたバックパックに入ってる荷物が、僕の全財産だ。





しばらくここで暮らすつもりだし、ノートPCも買った。ここを引き払うときにまたオークションにでも出す予定。

ネットはNexus7に入れてる格安SIMの回線をテザリングで使う。この回線ではきついなと思ったらまた別の方法を考えよう。

さっそくPCを起動して、ブラウザで開くのは福島の相馬市役所のサイト。いま相馬市に置いている住民票を、札幌市に異動するためだ。役所のサイトにはたいてい、郵送で転出届が出せるように、それ用の書式のPDFファイルが置かれているのである。

でも相馬市の該当ページには、こんなことが書かれていた。

※転出届は、本人確認や国民健康保険などの手続きが必要なため、原則として窓口での手続きとなります。
※住民基本台帳カードをお持ちの方は、特例による転出届の手続きを郵送ですることもできます。
郵送による申請

この2文を総合すると、「住基カードを持ってない奴は窓口に来い」ということになる。PDFファイルも「特例による転出届」しかない。マジか。住基カードなんて持ってねえよファック!

いや郵送で転出届だせんとかありえんだろ、と思って相馬市役所に電話してみる。

「住基カードなんて持ってねえしファック! もう札幌にいて窓口とか行けねえしファック!」

「『特例による転出届』の書式を使っていただいてかまいません。『特例による』の部分を二重線で消して、あとは必要項目を埋めていただければ。住基カードのところは空欄でかまいませんので」

「あ、はい」





さっそく近所のセブンイレブンでPDFファイルを印刷する。しかしコンビニにデータ持ち込みできるようになってから、家庭用プリンタとかマジいらんようになったな。

さっきいわれた通り「特例による」のところに二重線を引く。あ、こういう場合は訂正印を押すべきか、いや別にいらんか……とかどうでもいいことを考えていると、なぜか唐突にこんなセリフを思い出した。

「すごいっすね。俺らがやってることなんて遊びですよ」

今回の旅の途中で出会った日本一周中のチャリダーにいわれたセリフだ。これをいわれたときは「え? 逆じゃないの?」と思った。僕は電車を使って普通に移動して、普通に観光してるだけで、特に何か困難に挑んだりしているわけではない。それに比べたら自力で自転車をこいで日本一周してる人のほうがよほどすごいのでは……と思っていた。彼がどうしてあんなことをいったのか、わかった気がする。

そして最近、今回の旅で知り合った人たちがFacebookで「旅を終えて無事に家に帰りました」と報告を上げているのを見て、「よかった」とか「おつかれ」とか思うと同時に、何か違和感を覚えていた。その違和感の正体がようやくわかった。

そうだ、家に帰ったら旅は「終わる」のだ。あのチャリダーの彼にもきっと帰る場所があるのだ。それに対して、僕にはない。帰る場所がないのだから、そもそも僕の旅は「終わる」ということがない。その違いをいっていたのだ、彼は。

それに気づいたら、なんだか唐突に不安になってきた。たとえるなら、みんな命綱なしで綱渡りしてると思ってたら、命綱なしなのは自分だけで、他の人から「命綱なしで渡るなんて正気?」といわれてるみたいな、そんな感じ。

もしかしてこれはやばいのか? こんなことやってる奴はいないのか? 越冬バイトとかしてる人たちも、実は帰る場所があるのか? 何らかの命綱があるのか? どうにもならなくなったら助けてくれる人がいるのか? だから「いまガチで住所不定無職」といったら、みんなあんなに驚いていたのか? これはやばいことなのか? もしかして僕だけが気づいていなかったのか? ちんこ。

そうだ、これは考えても仕方ないことだ。何をどう考えようと、どんな方策を立てようとしたって、最後には「帰る場所がない」というところに帰着する。これだけは本当にどうしようもない。

人は生まれる場所を選べない。そして過去は変えられない。人生はいつだって取り返しがつかない。

だから僕はそんなどうでもことを考えるのはもうずいぶん昔にやめてしまって、それがあまりにも「あたりまえ」になりすぎていたから、他人との認識のズレに気づけずにいたんだと思う。

でもそれはやっぱりどうでもいいことだ。そんなどうでもいいことを考えるより、いまの僕には他に考えなければならない重大な問題があるはずだ。それは――この書類に訂正印を押すべきかどうかという問題である(これも心底どうでもいい)。

北海道放浪編、グダグダのまま、完。