2014/09/02
函館、摩周丸と五稜郭と図書館と
函館はあまりにも観光スポットが多いので2日に分けてまわることにした。今日はその1日目。
まずは宿の近所のセブンイレブンで市電(路面電車)の一日乗車券(600円)を買い、JR函館駅前に向かう。昨日乗ったやつはわりと新しい車両だったけど、今回は床が板張り。新旧混在してるみたい。
交差点には電車専用の信号があった。
まずは摩周丸へ。
この船が青函連絡船として働いていた記録を見てまわる。
貨車をそのまま船に積み込んでたらしい。すげー。
当時の座席も保存されてる。ここで映像資料が見られるみたいで、ちょうど老夫婦が再生開始したところだったので、僕も横から見させてもらった。
泣いてる人、いつまでもテープを離さない人。昔の「出港」って、こういうのだったんだよなあ。
いまは行こうと思えば地球の裏側にだっていつでも行けるし、ネットさえあればいつでも誰とでもどこにいてもつながっていられる。
でも昔は、津軽海峡を渡ることでさえ、ものすごく大変なことだったのだ。それこそ、今生の別れになるかもしれないという、そういう悲壮な覚悟が必要なくらいに。
それでも人はひとつところにはとどまっていられない。より遠くへ、見知らぬ場所へ。その「広がり」を思うとき、なぜか僕はいつもドキドキする。
操舵室。
無線通信室。ここにいたスタッフの人がマシンガンのようにしゃべる人で、ああこの人めちゃくちゃ無線好きなんだなあと思った。船舶で通信士として働いていて、退職後にこの仕事をしているらしい。
ちなみに僕も中学のころは無線部だった。いちおうモールス信号も覚えたけど、実際にはほとんど使わなかったから、あんま覚えてないなw
でも空にCQ飛ばして、まったく見知らぬ誰かと話をするっていうのが、当時はめちゃくちゃおもしろかったんだよなあ。いまはインターネットがあるから、そんなのあたりまえになっちゃったけど。
そういや無線部で開局してた基地局のコールサイン、いまだに覚えてるわw
そして朝市へ。ヤマト運輸の機動力はあいかわらずすごい。
「函館朝市食堂二番館」で500円のカニ丼を食う。
また市電に乗って今度は五稜郭へ向かう。
五稜郭公園前で降りて、しばらく歩く。このあたりが歓楽街になるんかな?
五稜郭タワー。あとで上る。
まずは公園のほうへ。
江戸湾から軍艦8隻と共に脱走した榎本武揚率いる旧幕府脱走軍が箱館に入り、五稜郭を占拠したのは、明治元年(1868年)10月。新政府軍との戦いに敗れ、降伏したのはわずか7ヶ月後のことでした。五稜郭は新政府軍に明け渡され、戊辰戦争最後の戦いとなった箱館戦争の終結とともに、長い間続いた封建制度がここで終わりを告げました。日本の新しい時代が始まったのです。何気なく読んだこの案内板の「長い間続いた封建制度がここで終わりを告げました」という一文で、なぜか鳥肌が立った。
そうか、鳥羽・伏見から始まった戊辰戦争は、この函館で幕を閉じたのか。その現場に来て初めてそれを知るというwww日本史ももっとちゃんと勉強しないとなあ。
そして数百年にわたって続いた江戸幕府の時代が終わり、国民国家へ、帝国主義へ、世界大戦、敗戦、財閥解体、民主主義・自由主義、高度経済成長、バブル、失われた10(20)年。
とかずっと連想を続けていくと、いつのまにか「いま現在」にたどりついて、たしかに歴史というのは地続きなんだよなあと実感する。
箱館奉行所……の再現建築。入場チケットを買おうとすると、「失礼ですが学生さんですか?」と聞かれた。学生割引があるようだ。いやもう30超えてますwww
ああ、なんか時代劇でよく見る感じw位の高い人ほど奥に行けるらしい。
ここの案内板を修学旅行生が必死で書き写していて、「これなんて読むんだろ?」といっていたので教えてあげた。「奉行所」「庁舎」、小学生だとちょっと難しいのかな。
「庁舎ってなんですか?」
「えっと、市役所とかあるやん? あんな感じの建物のこと。奉行所っていうのは江戸時代の市役所みたいなやつのことやで」
かなりざっくりした説明だけどそんなに間違ってはいないはずw
しかしそういや小学生のころは、社会は絶対的なルールによって動いているものだと思ってたな。
「小さな政府か、大きな政府か」みたいな、答えの出ていないあやふやなものばかりを根拠に社会が動いているなんて、夢にも思わなかった。
「世界は完璧ではない」ということに、みんな何歳くらいで気づくものなんだろうか。
そして五稜郭内をブラブラと歩く。過去の「要塞」も、いまはただの市民公園である。ホント、「夏草や……」だよなあ。
公園を見てまわったあとは五稜郭タワーへ。これはエレベーターの壁。上昇中に暗くなって、当時の様子を描いた絵が映し出される。こういう仕掛けはおもしろい。
「これは誰の詩(うた)なんですか?」とエレベーターの係の人に聞いてみたけど、別に有名な人の詩ではないらしい。ペリーが来航して、街に外国人や異国のものがあふれるようになって……という、そういう時代の市井の人の詩らしい。
展望台から五稜郭を見下ろすと、なるほどたしかにきれいな星形だ。この形にすることによって防衛力が増すらしい。
こうして見ると、函館ってかなり都会だよなあ。
そのあとは北洋資料館へ行ってみた。これは航海体験室。映像にあわせて揺れが激しくなったりして、かなり本格的。これで入館料100円は安いなあ。ちなみに受付でまた「学生さんですか?」と聞かれたw
あ、そういや函館って「蟹工船」の舞台だっけ。
日本帝国海外旅券-1914(大正3)年-すげー、100年前のビザだ。
北洋で働く上津甚松に発行されたビザ。住所年齢に加え、今はない族籍や身体的な特徴が記載されているのが興味深い。
腹が減ってきたので、函館ローカルのバーガーチェーン、ラッキーピエロへ。
外観もそうだけど、内装もかなり凝ってて、中世のキリスト教的な絵画や装飾品でまとまってる。でもどこかキッチュな感じ。ヴィレッジヴァンガード的な雰囲気といったらいちばん伝わるか。
こういうのってかなりセンスないとできないんだよなあ。何かひとつでも間違うととたんに寒くなるし。
チャイニーズチキンバーガーのセットを注文。ポテトはデミグラスソースとホワイトソースがかかってるんだけど、これが最強にうますぎてやばい。流行る理由がわかる気がするわ。
サラリーマンがカレー食ってたけど、今度はあれに挑戦してみようかな。
腹ごなしに散歩しながら図書館へ。
広すぎわろた。しかも天井がめちゃくちゃ高い。開放感あるなあ。蔵書数も多いし、利用してる人も多いし、北海道でまわった図書館の中ではダントツで1位だわ。
函館学コーナーという小部屋があった。
「函館市観光基本計画」という冊子を読む。ネットでも読めるみたい。
こういうのって本当に意味あるのか昔は疑問だったけど、自分がそれなりに大きな組織で働いてみて、こういう資料の重要さがよくわかった。そしてそれを作る大変さも。
しかしやっぱり函館は観光に力入れてるんだなあ。僕みたいな旅人が「ここはいい街だ」って思うかどうかってのは、こういう地道な努力の積み重ねの結果だったりするんだよなあ。
そろそろ日が傾いてきたので市電の駅へ戻る。
そのままロープウェイに行こうかと思ってたけど、今日はもう疲れたので反対方向の湯の川行きに乗った。この辺りは温泉街らしく、高そうなホテルや旅館が多い。
フラフラと歩いてたら海岸まで来てしまった。あ、水平線に漁火が見える。
雨宮館というホテルで日帰り入浴。今日一日の疲れを落とす。
さっぱりしてまた市電に乗り、「函館どつく前」ではなく「末広町」で降りる。港からは漁火ではなく、ピカピカの夜景が見えた。
ベイエリアにあるハセガワストアで「やきとり弁当」を注文する。なんか専用注文台が設置されてるwww
奥は普通のコンビニだった。なんかセイコーマートオリジナル商品があるんだけど、どういう関係なんだろう? 業務提携してるのかな?
「やきとり弁当」は普通に豚。もうこれが普通になってきた。うん。
腹ごなしにまたブラブラ散歩。
夜は観光スポットになってる建物はライトアップされてるので適当に見てまわる。明日は昼に来よう。
まだ8時過ぎなのに大通りにはほとんど交通がない。店もほとんど開いてない。
昼は数分おきに市電が走ってるのに、8時を過ぎるととたんに便数が少なくなってるなあとは思ったけど、こういうことか。