2014/08/20
2014/08/19
稚内、市街南側散策
天気予報によると、今日の昼から明日の朝にかけて雨らしい。宗谷岬に行くのは明日にしよう。
今日は傘を持って稚内の市街をぶらついてみる。これは駅前の飲み屋街。
今日は傘を持って稚内の市街をぶらついてみる。これは駅前の飲み屋街。
2014/08/18
旭川~稚内、ライダーハウスみどり湯
そろそろ稚内へ行くことにした。

旭川の街ともお別れ。でもここにはまた来るような気がする。そのときも彼は今日と同じようにサックスを吹き、猫は今日と同じように聞きいっているのだろうか。
旭川の街ともお別れ。でもここにはまた来るような気がする。そのときも彼は今日と同じようにサックスを吹き、猫は今日と同じように聞きいっているのだろうか。
2014/08/17
旭川、市街散策
今日は旭川の市街を散策することにした。

まずは宿の近所の常磐公園をまた散歩する。休憩所で犬を連れた人が座っていたのでモフらせてもらった。
まずは宿の近所の常磐公園をまた散歩する。休憩所で犬を連れた人が座っていたのでモフらせてもらった。
2014/08/16
旭川、神が組んだプログラム
修道士たちは五、六世紀にはやくもアイルランドの西海岸を出航し、船を漕いで到着していたのである。軽い小枝のフレームに牛革を張って作ったカラッハという小型の無甲板船で出発し、海の向こうになにかがあるにしても、それがなんであるかわからぬままに、世界でもっとも危険な海のひとつを渡っていったのだ。アイルランド人修道士たちは命を賭けていたし、おびただしい数の命も失われたが、富や個人的名誉をもとめたわけではなく、専制君主に代わって領土を拡張するためでもなかった。偉大な北極探検家でノーベル賞受賞者フリチョフ・ナンセンが指摘したように、「こうした驚くべき航海はもっぱら……この世捨て人たちが浮世の騒ぎや誘惑に悩まされることなく、平和に暮らすことのできる人里離れた場所を発見しようとする願いから企てられたものなのである」十九世紀に入って、一握りのノルウェー人たちが最初にアイスランドの海岸に現れ、修道士たちは住民が多くなりすぎたと考えた――まだ人はほとんどいなかったにもかかわらず、修道士たちがとった対応は、カラッハに乗りこんで、グリーンランドに向けて漕ぎだすことだった。彼らはただひたすら精神的な飢えと、現代の想像力ではとても思いおよばない奇妙で強烈な憧れに駆りたてられて、荒れた嵐の海に乗りだしていき、既知の世界の果てを越えて、さらに西をめざした。ジョン・クラカワー「荒野へ」pp.159-160
2014/08/15
旭川、旭山動物園
今日は旭山動物園に行くことにした。
動物園までは旭川市街からバスに乗って40分ほど。バスの案内放送で、旭川の四条は「しじょう」ではなく、「よんじょう」でもなく、「よじょう」と読むのだと知って、ちょっと驚いた。

動物園到着。お盆だからか、めちゃくちゃ混んでる。しかも家族連れとカップルばかり。男ひとりで来てるやつなんていない。あ、あれ? なんか死にたくなってきた……。
動物園までは旭川市街からバスに乗って40分ほど。バスの案内放送で、旭川の四条は「しじょう」ではなく、「よんじょう」でもなく、「よじょう」と読むのだと知って、ちょっと驚いた。
動物園到着。お盆だからか、めちゃくちゃ混んでる。しかも家族連れとカップルばかり。男ひとりで来てるやつなんていない。あ、あれ? なんか死にたくなってきた……。
2014/08/14
網走~旭川、なぜか居心地がいいので
今日はまず旭川へ行って、余力があればそこからさらに稚内を目指す。
まずは呼人駅でワンマン列車に乗る。
まずは呼人駅でワンマン列車に乗る。
