2014/07/31

It's time to move on

当時、私はボールダーに建設されていたマンションの工事現場で、時給3ドル50セントの臨時雇いの大工として働いていた。ある日の午後、2×10インチの板をかついだり、3.5インチの釘を打ったりして、9時間働いたあと、現場監督に仕事をやめることを伝えた。「いいえ、2週間後じゃないんです、スティーヴ。いますぐやめたいんです」私は数時間かかって、住みこんでいた薄汚い工事現場のトレイラーハウスに置いてあった道具類やほかの所持品を片づけた。そのあと、自分の車に乗って、アラスカに出発した。いつもながら旅立ちというのは、いかに気が軽くなるものか、いかに気分がいいものか、私は驚かされた。世界がいきなり、可能性でいっぱいになるのだ。
ジョン・クラカワー「荒野へ」pp.219-220

「大阪に帰るの?」

「いや、僕、帰るとこないですから」

「え? 実家は?」

「10年以上前に縁切れて、それっきりです」

その職長さんは「信じられないものを見た」という顔をした。あれ、まずったかな、と思った。育ちのいい人が集まる職場ならいざしらず、こういった現場はスネに傷のあるような人間が多いんだし、こんなの普通のことじゃないかと思ってた。

「暑いし、北海道に行こうかなと思ってます」

「あてはあるの? 知り合いは?」

「いや、まったく、なんのあてもないです。知り合いもいません」




7月末日の朝、部屋の私物を片付けながら、ふいにそんな会話を思い出した。数日前、この仕事をやめると伝えたときの、とある職長さんとの会話だ。このあとの彼の乾いた笑いは、なぜかいまでもよく覚えている。

荷物のパッキングを終えると、ちょうど会社の人事の人から電話がかかってきた。あとでこの旅館まで迎えに来てくれるらしい。

とりあえずダンボール箱をひとつ、階下へ持っていく。厨房に女将さんがいたので「配送業者に渡してください」と頼んでおく。集荷の依頼はもうしてある。

「どこに送るの?」

「トランクルームです。ダンボール1個、月200円で預かってくれるんですよ」

「へえ、安いねえ。最近はそんなのがあるんだねえ」

出庫はウェブ上からできるので、またどこかの街で落ち着いたら取り寄せればいい。そんな日がくるかどうかは謎だけど。

そうするうちに人事の人がやってきた。

「中田くん、準備できてる?」

「あ、はい、いけますよ」

「荷物はそれだけ?」

「ええ、いま背負ってるバックパックと、このダンボール1個が、僕の全財産です」

人事の人も、女将さんも、乾いた笑いだった。





もう僕にとっての日常になってしまった、この松川浦の光景ともお別れ。




人事の人が運転する車に乗って、南相馬市の南端へ向かう。WBC(ホール・ボディ・カウンター、内部被曝検査)を受けに行くためだ。除染の仕事をやめるときには必ずこれを受けなければならないのである。松川浦からは1時間近くかかるので道中は雑談だ。

「タバコ吸ってもいい? 中田くん吸わないんだったよね」

「ええ、だいぶ前にやめました」

「お酒は?」

「酒はけっこう好きですね。だいたい家飲みですけど」

「ギャンブルや風俗は?」

「あんま興味ないです」

「ああ、それじゃあお金貯まるよね。うちにいるような人らはみんな『飲む、打つ、買う』の人らだからね。中田くんみたいなのはめずらしいよ」

「そうなんですかね」

「そうだよ。それで? そのお金で北海道旅行に行くんだって?」

「ええ、そのつもりです」

「そのあとは? また福島に帰ってくるの?」

「どうでしょうね。ぜんぜんわかんないです。北海道が居心地よかったら、しばらく住もうかなとは思ってます」

「いいねえ、私もそんな生き方してみたいよ。中田くんの話聞いてると、毎日同じような仕事してるのがバカらしくなってくるね」

「いえ、毎日ちゃんと仕事してる人は偉いですよ、やっぱり」





WBC自体はすぐ終わり、そのあと、近くの駅(原ノ町駅)まで送ってもらった。

車から降りて、ひとりになって、ああこれでまた僕は何者でもない人間になったんだなと思うと、急激にいろんな感情が込み上げてきた。

孤独、不安、期待、開放感。そういったものが、ないまぜになって、濁流になって、押し寄せてくる。心臓と脳をぎゅっと絞られている感じ。このまま血流も呼吸も止まって、死んでしまうのではないかとさえ思えてくる。これはきっと、見知った世界から見知らぬ世界へ移行する、その瞬間にしか味わえない感覚だ。

そんな状態でも震える足で一歩を踏み出せるのは、それらすべてをかき消してしまうほどの、強烈な焦燥感があるからだと思う。何に対する焦燥感なのかはわからない。だけどその正体不明の焦燥感に突き動かされて、僕はいま、行動している。





次の電車までだいぶ時間があったので、駅の隣にある図書館に入った。やはり図書館は落ち着く。ざわついた心が平常に戻っていく。

館内には震災関連本のコーナーがあった。そういや相馬市の図書館にもあったなあ。被災地の図書館はどこもそうなんだろうか。

あの震災があったとき、僕は京都にいて、まったく他人ごとのようにテレビで見ているだけだったけど、ここに来て、しばらく暮らして、他人ごとではなくなってしまった。すべて自分のことになってしまった。

震災関連の本を読んでいて、そんなふうに自分が変化していることに気づいた。





そして電車に乗って、北へ向かう。車窓から見える風景が、なんだかとてもありふれて見えて、ああここもそうなってしまったのかと思った。

最初に東北に来たときのドキドキ感。まったく見知らぬ土地にひとりきりできてしまった。別世界に来てしまった。そういう感覚。それがもうないのだ。





相馬~亘理間はまだ復旧していないので、相馬駅で代行バスに乗り換え。





途中、ものすごい雷雨に見舞われる。





そしてまた亘理で電車に乗り換え。





仙台到着。ここからフェリーターミナルを目指さないといけないんだけど、まだ時間はあるし、ちょっと街をブラブラしながら買い物をする。





で、買ったのがこれ。ノースフェイスのフロントアクセサリーポケット。なんか貴重品入れ的なものを買おうと思ってはいたんだけど、これ、Nexus7のサイズにぴったりすぎて即買いしてしまった。





ちょっと前までNexus7の2012年モデル(ネットは旅館のWi-Fi)を使ってたけど、今回の旅のために2013年モデル(LTE対応版)に買い替えた。SIMフリー端末だから、これに格安SIMカード(BIC SIM)をさしてネットにつないでる。

月千円弱で月1Gまで(※2014年10月時点では2Gまで)高速通信可能。これはクーポン式になってて、自分でクーポンのON/OFFが可能。普段はOFF(200kbps)でクーポン残量を温存しておいて、高速通信したいときだけONにする、みたいな使い方が可能。

今回の旅でのおもな使用目的はGoogle Mapsとメール、ちょっとした検索くらいだから、これで十分かなと思う。2年縛りもないから、いつでも解約できるし。

auのガラケーをスマホに機種変しようかと思ってたけど、いまは月額1万近くかかるらしいんだよね。それじゃあもう電話はガラケーで、ネットは格安SIM+SIMフリー端末で、ってのがいいのかなって。auも一番安いプランにしてるから月千円以下、格安SIMの通信費とあわせても月二千円以下だし。現状ならこれがベストっぽい気がする。

電話も最近はほとんど使ってないから、これをIP電話にすれば月300円になってさらに安くなるけど、auの2年縛りがまだしばらくあるので、これはもうちょい考えてから移行する予定。Nexus7(7インチタブレット)で電話するっていう絵面は、ちょっと間抜けかもしれないけどw


話を戻して、このバッグを買ったノースフェイス専門店の店員さんと、ちょっと雑談したんだけど、「いまからフェリーに乗って北海道へ行く」っていったら、こんなことをいってた。

「僕の友達で、原チャで日本一周とかしたやついたんですけど」

「そいつ、北海道にやたらハマッてましたね」

「半年くらい農家でバイトして生活してましたよ」

「日本一周なのに、いつ北海道出るんだー、みたいな」

ああ、そういう生き方もあるんだなあと思った。

このころの僕はまだ、北海道のライダー文化、チャリダー文化、そもそも日本一周という旅自体にもそれなりに文化がある、ということをなんにも知らなかったのである。




サブバッグを手に入れたので、道ばたのベンチで荷物を整理しなおしていると、いちばん最初にホームレスになったころのことを思い出した。

家がない。帰る場所がない。荷物の整理をするのだって道ばたで、だ。もう自分に落ち着ける場所はないのだ。屋根もなく、壁もない、この開かれた場所こそが、僕の世界なのだ。

ようやくここへ帰ってきた。相馬の道の駅で見た、あのボロボロのチャリダーの人と同じところへ、帰ってきた。





フェリーターミナル行きのバスに乗る。

休みの日にはよく仙台に遊びに来ていたからか、バスの車窓から見える景色も、やっぱりなんだかありふれたものだと感じてしまう。やはり潮時だったようだ。





そしてフェリーターミナルに到着。もう船は停泊してる。かなりでかい。すごい。





なんか待合室には自衛隊員がたくさんいた。

予約も支払いも乗船名簿登録もネットで全部済ませていたので、クレカを出すだけでいい(決済したカード番号で本人確認する)。楽だ。チケットをもらって船の中へ。

入ると高級ホテルのラウンジみたいなところに出たので、「あ、やべ、等級まちがえた」とか思ったけど、係の人は笑顔で対応してくれた。ここでいいのか。このエントランスホールを右に行くと1等やスイート、左に行くと2等の大部屋らしい。もちろん僕は後者である。





部屋に入ると家族連れが1組いた。母親が「子供がいるからうるさくなってしまうかも、ごめんなさいね」といっていた。世の親たちは交通機関を使うときに、こういう苦労があるのか。大変だ。こういうの、何も気にせず乗れるようになればいいのに。

ちなみに僕はまわりがどれだけ騒がしかろうが気にならない。それこそ目の前を車がバンバン走っている道路脇でも寝られるのである。





部屋に荷物を置いて、デッキに出てみると、空には少しだけ夕陽の赤が残っていた。

施設で暮らしていたころ仲良くしていたおっちゃんに教えてもらったあの曲を口ずさんでみる。

「しぼったばかりの――」

こうして僕の旅はまた振り出しに戻る。サイコロの次の目は、わからない。




部屋に戻るとさらに家族連れが増えていた。おひとり様は僕だけか。自分のスペースで本を読んだりしていると、小学校高学年くらいの男の子が話しかけてきた。

「あー、パパはやく来ないかなー」といいながら、しきりに窓の外を見ている。

「パパと来てるの?」

「うん、パパ、車に行ってる」

車に行ってる? ああ、車を乗船させてるのか。

「パパ、船も詳しいんだよ」

話を聞いていると、実際に乗ったりもしているようだ。

「パパは船乗りなの?」

「ううん、電車の運転手」

どうも東京の私鉄で働いているらしい。「すごいねえ」というと、めちゃくちゃ嬉しそうにしていた。

かなりおしゃべりな男の子で、とにかくパパはすごい、ということをまくしたてる。自分の父を誇れるというのはすばらしいことだ。自分の家庭がそうではなかっただけに、余計にそう思う。

それから話はあっちへ転がり、こっちへ転がり、いつのまにか妖怪ウォッチの話になっていた。このあたりはあまりついていけなかったけど、ちょっと気になることがあったので恐る恐る聞いてみた。

「いまはポケモンより妖怪ウォッチのほうが人気あるの?」

「ううん、ポケモンのほうが人気あるよ」

おお、よかった。

ん? よかった……のか?

あの会社とは少しだけ縁があったとはいえ、自分にも帰属意識みたいなものがあったのかと、なんだか苦笑してしまう。

そうこうするうちに、他の子供たちも話にまざりだした。あっちこっちから会話のボールが飛んできて、もうわけがわからない。ええい僕は聖徳太子か。知ってる? 昔の1万円札は諭吉のオッサンじゃなくて聖徳太子だったんだぜ。なに? 聖徳太子を知らない? 聖徳太子というのはだね――




だいぶ会話が落ち着いてきたころ、5歳くらいの女の子がこんなことを聞いてきた。

「ママは?」

一瞬、なんのこっちゃと思った。この子の母親はさっき部屋を出ていったばかりだ。まだ幼いとはいえ、自意識ははっきりしているように見えるし、ついさっきのことすらわからないほど時間感覚があやふやではないだろう。

ああそうか、これは僕への問いかけなのだ。「私のママは?」ではなく、「あなたのママは?」なのだ。この子にとってはママと一緒にいるということがあたりまえで、そうではないお前は何なのだ、と問うているのだ。ここまで理解するのに数秒かかった。

「ママはいないよ」

「どうして?」

これまた難解な問いだと思った。母親とは十年以上前に死別しており、そのあとすぐに家を出て、家族や親類とは完全に縁が切れているから、僕にとっては家族がいないことのほうがあたりまえなのだ。どうしていないのか、なんてことはもうずっと考えたこともなかった。だからそのまま答えた。

「どうしてだろうね」

「ひとりなの?」

「うん、ひとりで旅してる」

女の子が首をかしげる。ありゃ、旅という単語はまだわからないか。

「旅ってわかる? 知らないところへ行ったり、知らない人に会ったり……」

女の子はまだ首をかしげたままだったけど、僕は自分が発した言葉にハッとされられた。そうか、僕にとって旅とはそういうものだったのかと。もうすでに知っているところへ行ったり、知っている人に会うのは、旅ではないのだ。まったく未知の世界へ踏み出すことこそが、僕にとっての旅なのだ。





そうこうするうちに船が動き出す。港で手を振っている人たちがいる。男の子が手を振り返す。しだいに仙台が遠ざかっていく。





デッキに出てみる。港に灯る光、その星の海を船が進んでいく。




それからまた部屋でダラダラしていると船内放送があった。どうもラウンジショーなるものが催されるらしい。暇だし行ってみるか、と思って部屋を出ようとすると、子供たちが「どこに行くの?」と聞いてきた。

「ラウンジショー」

「ラウンジショーって何?」

なんだろう、僕にもわからない。

「たぶん……学芸会みたいなやつ?」

よくわからんけど意味は通じたようだ。

子供たちはついてこようとしてたけど、さすがに部屋の外へ連れ出すのはまずいと思い、「ついてきちゃダメ!」とピシャリといって、廊下に出る。

しかし君らさっき会ったばっかりの人間相手に警戒心なさすぎやで。


ラウンジショーはピアノ演奏だった。最近のフェリーはこんなのやってくれるのか。すげーな。曲目は、久石譲の「Summer」とか、誰でも一度は聞いたことがある曲ばかりだ。「Let it go」もやってた。

それから風呂に入ったり(サウナ付きだった、すげーな)、船内をフラフラと探検したり。


船内にいるたくさんの人たちを見て思う。

こんな大きな船に、こんな多様な人たちが乗り合わせている。

帰省だったり、引っ越しだったり、あてのない旅の途中だったり。

普通なら絶対に関わらないような人たちが、フェリーの中で一夜を共にしている。

なんだか不思議な感じだ。

この世界には本当にいろんな人間がいて、いろんな人生を送っている。

それは、決まりきった日常を繰り返すだけでは絶対に感じられないことだ。

だから僕は、旅をする。