2014/07/18

アカデミアの扉を叩くまで

現在33歳、いまから大学を目指すことにした。


※このお話はたぶんフィクションです。実在の人物や団体とはあんまり関係ありません。


【これまでのあらすじ 】

高校中退

コンビニ店員

半導体工場でライン作業

零細でプログラマ

ホームレス

西成でゴミ拾い

自立支援施設に入所

生駒の山奥でドブさらい

京都でプログラマ

半年かけて海外放浪

ホームレス

兵庫で職業訓練

世界一周アプリを作る

増田に私小説を投稿

大阪でプログラマ

無職ひきこもり

Kindleで本を出す

ホームレス

福島で除染作業員←イマココ!


なんだかんだあって福島にたどりついたのが今年の4月。ここでの暮らしも、仕事も、もう僕にとってあたりまえの日常になりつつある。

朝は会社のバンに乗り込んで、相馬市の北端から南相馬市の南端へ向かう。千人以上の作業員とともにラジオ体操をし、朝礼のあとはまたバンに乗って担当工区へ向かい、作業に入る。

除染といっても何か特別なことをしているわけではなく、やってることはただの土木工事でしかない。たまに管理の仕事を手伝わされたりもするけど、基本的には頭を使う必要のない人夫仕事。だから考える時間はいくらでもある。刈った草を運んだり、スコップで地面を掘ったりしながら、頭の中をめぐるのは、国や社会やエネルギー問題のこと……なんかではなく、自分のこと。僕自身の今後について。

何か深い思慮や目的があってここに来たわけじゃない。なんとなく「暑くなる前に北へ行こう」と思っただけにすぎない。このあとのことなんてなんにも考えてない。まだしばらくはここで仕事するとして、そのあとはどうするか。また都会に出てプログラマをするか、田舎のほうでしばらくひきこもるか、それともまたあてもなく海外をフラフラと旅するか。いろいろ考えてみたけど、どれも何か違う気がする。どれも何かしっくりこない。

目の前のことさえわからないときは、逆方向から考えてみればいいんじゃないかと思う。最終的な着地点から逆算して、現時点までのルートを作るのだ。

僕の最終的な着地点は「野垂れ死に」だ。これはもう確定された結末で、これを変えるつもりは一切ない。どうしてそういうことになったのかは、わりとどうでもいいのでざっくりはしょる。

そんなことより、どうせ野垂れ死にするのなら、その前に世界一周くらいはしておこうと思っている。3年前、初めて海外に出たときは、本当に右も左もわからなかったけど、意外となんとかなったし、世界一周もたぶんなんとかなる。そう思って計画を立て始めたものの、すぐにこれはそう簡単な話じゃないということに気づいた。なにせ前回はアジアの片隅をちょろっとまわるだけで半年もかかったのだ。今度もこの調子でいくなら、世界一周なんて10年くらいは普通にかかってしまう。

10年がかりで旅をするなんて途方もない話だし、事前準備だけでもとんでもない大仕事だ。どこから手をつけていいのかすらわからなかったので、まずは自分が旅程を検討するためのアプリを作った(→PLANetter)。これを公開したのが2年くらい前。

「よし、これをさらに改良していって、あるていど納得いく形になったら世界一周の計画を立てよう」と思ったものの、正式リリースのあとは開発が頓挫している。開発を進めるにあたって、致命的な問題があることがわかったからだ。それは、開発者である僕自身が世界について何も知らないに等しい、という問題だ。

開発者はシステム化する対象に関して、誰よりも精通している必要がある。業務システムの開発なら、 その会社の業務フローについて社内の誰よりも詳しくなくてはいけない。システム開発とはそういうものだ。そして今度の対象は世界だ。すべての国だ。それを僕自身が知らなくてはならないのだ。

そう思って、最近いろんな本を読んでいたのだけど、世界を理解する上で特に重要なのが、政治と経済なのだということがわかってきた。そんなの十代や二十代のころはまったくといっていいほど興味なかったけど、なぜかいまは、そういう類の本を読むとめちゃくちゃおもしろい。頭の中にスルスル内容が入ってくる。

でも同時に、これはとても深遠な分野だということもわかった。その知の海はとてつもなく広く、深い。僕ひとりで飛び込んだら、きっと溺れてしまう。いやそもそも、 プラトンやロックやルソーやマルクスやケインズや、そんな歴史上の大家たちの思想を、中卒の僕がひとりで理解できるわけがない。それくらいは僕にも理解できる。

でも、それなら、どうしたらいいのか? そこでふと頭の中に浮かんだのが、「大学に行く」という選択肢だった。 

思えばそれはずっと自分の中にあった気がする。大学に行ってみたい、自分も他のみんなと同じように高等教育を受けてみたいと。だけどそれが選択肢として形を持つことはなかった。いままでずっと金も時間もなく、ただ日々の生活に追われるばかりで、そんなことを考える余裕なんてなかった。

何より僕には自信がなかった。自分みたいなバカが高等教育を受けたところで、何の意味もないと思っていた。大学なんて自分にはまったく何の関係もない、別の世界に存在するものだと思っていた。

いつからだろうか、その認識が変化し始めたのは。きっと、これという決定的な瞬間があったわけではなく、少しずつ、なんだと思う。いろんな仕事をして、そこで一定の評価を得たり、旅に出ていろんな人に出会って、自分とは違う価値観にふれたり、プログラムを組んだり文章を書いたりして、それを不特定多数の人間の目に晒したり。何かに追われるようにどうしようもなくそういうことを繰り返していくうちに、少しずつ自己卑下の精神が――完全とまではいかないにしても――なくなってきた。

だからいまは、自分が高等教育を受けることに意味がないだなんて思わない。大学が別の世界の存在だなんて思わない。 この歳になってようやく、僕は人並みの自尊心というものを獲得できたんだと思う。そして、そういう現状があったからこそ、いまこのタイミングで、「大学に行く」という選択肢が、リアリティのあるものとして、僕の前にあらわれたんだと思う。

あとはこの選択肢を選び取るかどうかだ。

いまの時代、大学に行くなんてそれほどたいしたことじゃないのかもしれない。だけど少なくとも僕にとってそれは、とてつもなく勇気とエネルギーが必要なことだ。ホームレスになることよりも。右も左もわからないまま海外に飛び出すことよりも。ここ最近はそのことばかり考えていた。ずっと覚悟を決めきれず、二の足を踏んでいた。

東北の夏は涼しいかと思ったけど、ぜんぜんそんなことはなく、6月、7月と、クソ暑い日が続いている。炎天下で肉体労働をしながら延々と考えごとをしていると、頭がクラクラしてくる。思考がぐちゃぐちゃになって、わけがわからなくなってくる。ただの熱中症なのかもしれないけど、これはきっと、照りつける陽射しのせいだけじゃない。脳を焼き焦がすほどのこの熱量は、自分の内側から来るものだ。

それはいつか感じた熱量。感情になる前の感情、行動になる前の行動。名前なんてつけようもないほどプリミティブな衝動。あの日、自分の中に発見した、マグマのような熱量。きっと僕はいままさに、それに直面している。そしてその熱量からは、どうあがいても逃げられない。それだけは確信できる。

だったらもう、覚悟を決めるしかない。本当にもう、そうするほかどうしようもない。

そして冒頭の結論に至る。僕はいまから大学を目指す。そうやって覚悟を決めてみると、気持ちがすごく楽になった。気が軽くなった。だからきっとこの選択は間違いじゃない。

フラフラと定住もせず人夫仕事やってる現状から大学へ。両者の間には深くて広い溝がある。それくらいはわかってる。でもそんなことはどうでもいい。べつに期限のあることじゃないんだし、大学に入るのが10年後になったってぜんぜんかまわない。山積している問題は、時間をかけてひとつひとつなんとかしていけばいい。ただそれだけの話だ。とても簡単なことだ。

まずは高認(昔の大検)を受けることにする。そしてそのための基礎学力を身につける。いまはそれだけでいい。あとのことはあとで考える。

まとめると以下のようになる。


【これからのあらすじ】

基礎学力を身につける

高認取得

学費を貯めながら受験勉強

大学で政治経済を学ぶ

世界一周アプリを完成させる

旅費を貯める

10年かけて世界一周する

本の続きを書く

人知れずどこかで野垂れ死ぬ


いちおうこんな感じで考えてはいるけど、この通りにいくとはまったく思ってない。 本当に大学に行けるのか、本当に世界一周の旅に出られるのか、いまの時点では何の確証もないし、実のところ、それが実現するかどうかなんて、どうでもいいんだと思う。僕はただ、自分の魂が指し示す方向へ淡々と歩いていくだけだ。それが王道か脇道かなんて、些細な違いでしかない。

成功なんてしなくていいし、特別な存在になんてならなくていい。夢なんて最初から持ってないし、未来に希望を抱いてもいない。 この先もずっとろくでもない毎日が続いていくんだってこともわかってる。

だけど僕は、このくだらなくも愛しいガラクタのような日々のことを、またここに書き綴っていこうと思う。

いつかアカデミアの扉を叩く、その日まで。